80歳のスパイス屋さんが伝えたい人生で大切なこと

吉山武子著 KADOKAWA(22.8.25)

こころに残ったひとこと

全4章の小著。

著者は現在、久留米にてTEKECO1982という店を営んでいる。

本書は最初の章が、日常についてこまごまとした話題で占められていたので、

てっきりエッセイだと思っていたら、続く2~3章で自伝となる。

最後の章は、仕事と社会貢献について書かれている。

 

とはいえ、タイトルで読者が期待するであろう部分についても、配慮はされている。

文中にて7品、巻末はカラーぺージ、写真付きで12品、計19品のレシピが掲載されている。

文中のものは通常料理にスパイスを足したレシピがメイン、

巻末は「スパイス料理」とタイトリングされており、

本領発揮であろうスパイスありきのレシピが並ぶ。

 

自伝部分について素描すると、

あるとき、著者は手伝っていた料理教室に、出入りしていた男性から声を掛けられる。

そのひとは脱サラ後、貿易会社を営んでいる社長。

今度スパイスカレー粉を売りたいので、奥さんたちを紹介してほしいとのことだったのだ。

著者とスパイスの出会いはここに始まる。

こうして実演販売的な手伝いからスタートし、やがて独立、移動料理教室へ。

その後、雑穀米を扱う会社に勤めている生徒さんから社長を紹介される。

カレー店を出したいからということで、デパートに出店したこともあった(ママンカレー)。

そのとき社長さんからスパイスブレンダーと云われたことをきっかけに、そう名乗るようになる。

後年は移動教室を減らし、会食式の教室に。

そして73歳のおり、姪が店を出してくれて、現在のTAKECO1982へ。

ちなみに1982の由来はスパイスブレンダーとして活動を始めた年だそう。

 

次に、わたしが印象に残ったエピソードをあげて、擱筆しようとおもう。

著者がスパイスブレンダーとして名乗る前のこと。

スパイスカレー粉と格闘していたころ、同時に平行して料理教室にも通っていた。

その頃の、福岡の横野律子先生についての話である。

その先生はウィーンで料理やお菓子を学んでいらっしゃった方だった。

著者は7年ほど通ったらしい。

最後に著者は自宅に招き食事を振舞ったのだが、

自分の教えた生徒さんの中で「独立したのは吉山さんだけだよ」、

そして食事をして「吉山さん、素晴らしい。

ちゃんとあなたの味になってるよ。

熱心に通ってくれたけど、私は免許状はあげられない。

その代わり、私のレシピは何でも使っていいから、

これからも頑張りなさいね」

そうおっしゃったらしい。

著者は横野先生の言葉に感激し、これからもやっていける自信がついたそうだ。

以下、著作のまま引用――

料理家の中には、生徒が自分の教室を開くと「私のレシピを盗まれた」と気分を害する方もいます。

でも横野先生は心が広く、素晴らしい先生でした。

 

著者の吉山さんだけでなく、俺も感動しました。

稽古事の経験がある方なら、どこか心に残るエピソードではないでしょうか。

横野先生が吉山さんに「独立したのは吉山さんだけだよ」とおっしゃったとき、

「だけだよ」の部分がだういふニュアンスだったんだらう。

ああいふ感じの「だけだよ」なのか、それともかういふ感じの「だけだよ」なのか。

そして、「これからも頑張りなさいね」にグッとくる。

とてもいい出会いをされたんだと思ふ。

おそらく横野先生にとって、も。

俺が、80歳のスパイス屋さんから伝えられたのは、

人生における出会いの大切さ、だったのかも。