感動と共鳴

オグ・マンディーノ 人生を語る

オグマンディーノ著   由布翔子訳   ダイヤモンド社(08.12.11)

 

この本は初めてでないが、再読にあたってきっかけがあった。

 

とある本で、「これから会う人は、世界で一番大事な人」と思って接する云々というフレーズに出くわし、あぁっ、これはっ!と目を瞠ってしまう。

同時にこうも思った。

そういえば、これって前にもどこかで読んだことがあるぞ。

そして最近の自分としてはおどろくほど瞬時に、何の本だったかが思い出せたのだった。

それもそのはず、当時もこのフレーズに衝撃を受けていたからである。

二度も心を動かされているといふことは、これは単なる感動にとどまらない、共鳴を意味しているのであらう。

なぜ初回で即行動に移せなかったのだらうといふ後悔をひきずりつつも、再読後、とにかくその刺さったフレーズを実践してみることにした。

 

実践してみると早速、心的障害が立ち塞がる。

実は再読のきっかけとなった本と、実際再読したオグ・マンディーノのものとは、若干フレーズが違う。

今回実践にするにあたって採用したのはオグ・フレーズだった。

「今日から出会う人はみな(一部略)夜中の十二時までに死んでしまうものとして接する」

自分の場合、既に感情のしこりがある相手には、このフレーズだと突破できない。

不謹慎にも、「死ぬんなら別にいいよね、どーでも。このままでも」と、つい思ってしまうのだ。

「そんな(こころの)在りかたで後悔しないのか?」などとささやく声なんか、残念ながら聞こえもしない。

そんなわけで昨日までの関係性をブチ破れないままだった。

そこで改めてこの本を再読するきっかけになった本に戻って、そのVer.を試してみたのである。

 

これだと、あたかも営業のように、接客のように相手に接すればいいだけだ、というハードルの低さを感じることができる。

既に自分の中にあるテンプレートを流用すればひとまず、形式的にも成立する。

もっともこれは後づけの理屈で、そちらへ変えたとたん、心中モヤモヤも生じることなく順調に回を重ねることができたのはなぜだろうと振り返った折、思いついたものであった。

ただ、両者に優劣はない。

オグ・マンディーノのこのフレーズは書中紹介される「人生というゲーム」のルール17のうちのひとつであるが、このルールはそれぞれ独立しているわけではない、そのうちのいくつかは、狙いや行動において、互いにつながりをもたせている、と著者は補足している。

実際このルールは、この前に挙げられているルール~「今日は自分の最後の日」と思って生きる~と表裏一体とのこと。

まず自分が今日一日の命だと思ってその日を生き、続いて、相手も今日一日の命だと思ってその日を接する、という一連の流れが狙いなのだ。

そのとっかかりのほうのルールを実践していない自分にとって、~「今日一日かぎりの命」のつもりで人に接する~はハードルが高くなったのも当然の気がするのである。

したがって著者の狙い通りの成果を得ているかどうかはわからないが、微弱ながら変化は感じ始めているのでまあ良しとしている。

 

ともあれこの本はその「人生というゲーム」のルール17と、「過去の私」から学んだ教訓の、二部構成になっている。

後半のほうは現在地から過去のみじめだった自分への回想、そして成功へ歩んでいく過程をお得意のドラマチックな展開で読ませる。

前半である「人生というゲーム」のルール17を参考までに以下、列記しておく。

ルール1 恵まれている点に目を向ける

ルール2 給料以上の働きをする

ルール3 過去の失敗や不幸を引きずらない

ルール4 一日の労苦は円満な家庭でいやす

ルール5 楽天的考えを土台に今日という日を築く

ルール6 行動に自分を語らせる

ルール7 「今日の不幸」に「明日の幸福」のじゃまをさせない

ルール8 時間は「小事」に浪費せず「大事」のためにとっておく

ルール9 「今日は自分の最後の日」と思って生きる

ルール10 「今日一日かぎりの命」のつもりで人に接する

ルール11 自分や人生を笑う心のゆとりをもつ

ルール12 小さなことをおろそかにしない

ルール13 毎日、朝を笑顔で迎える

ルール14 大きな夢も毎日、少しづつやれば達成できる

ルール15 人生をとりしきるのは、あなた

ルール16 災いの中に「福の種」を探す

ルール17 真の幸福はあなたの内にある